ズームアップひとZoom up Person
大橋 恵氏
大学卒業後、国立小児病院・国立成育医療研究センターにて看護師として勤務。渡米してアメリカ・カリフォルニア州ミルズ大学大学院教育学部で学びCLSを取得。帰国後、国立成育医療研究センターに戻り、CLSとして勤務。現在は、千葉県こども病院にCLSとして勤務する傍ら、CLS協会会長として、日本においてCLSという職業の認知や理解を広めるための啓発活動を行っている。
チャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS)の
先駆者
単独 渡米して資格を取得
「子どもの声を聞き取りたい、子どもと大人の架け橋になりたい」。このような強い思いから大橋恵氏はチャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS)を目指した。
病院は子どもたちにとって必ずしも快適な環境ではない。その中で子どもたちは恐怖や不安、孤独を感じている。すぐに退院できればいいが、入院が長くなったり、出ることの許されない子どももいる。そんな子どもたちに寄り添い、声を聞き取り、理解の手を差し伸べるのがCLSの仕事である。看護師だった大橋氏はCLSの重要性に共鳴し、迷わず渡米、資格を取得した。その大橋氏にはCLSの業務や内容、エピソード、目指す方々へのアドバイスなどをうかがった。
看護師の限界を感じCLSに挑戦
大橋氏は看護師として働いていた時、セミナーでチャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS)の存在を知った。アメリカの小児専門看護師がCLSについて語り、「これこそ自分がやるべきことだ」と強く感じたという。
看護師時代、大橋氏が勤務する小児病院ではさまざまな子どもたちが入院しており、中には病状がなかなかよくならず、コミュニケーションを拒否する子もいた。その子の病室を何度か訪れるうちに、その子が歌が好きだということがわかった。病院に音楽の先生もいるので、一緒にアカペラのグループを結成し、病院内で発表することができた。「その子もすごく生き生きとし始め、この経験から、入院している子どもたちにとって、自分らしい生活が重要であることを痛感しました」と大橋氏は語る。
しかし、看護師としての業務は多忙であり、このような活動を両立させるのは難しかった。勤務が終わった後に残って活動することもあったが、他の看護師が同じようにできるかというと、それは難しい。
看護師の限界を感じていた時に、CLSという職種を知り、日本にはまだないこの活動を学びにアメリカへ行くことを決心した。カリフォルニアで大学院のチャイルドライフ専攻コースの修士課程に在学し、勉強を重ねた。ここでCLSの資格を取得し、2007年に日本へ戻った。「当時、日本にはCLSの資格を持つ人は数人しかいませんでした」と振り返る。
国立成育医療研究センターでCLSとして2013年まで勤務した後、結婚と出産を経て現在は千葉県こども病院で勤務している。
医療者や親とチームで子どもに接する
CLSは、病院に入院している子どもたちや外来の子どもたちが抱える恐怖や不安を緩和し、精神的な支援を行う職種である。子どもに接する流れとしては、まず病名を告げるに当たってその病気を理解し、受容できるようにサポートする。小学生ぐらいになると文字を読めるので、図表を使って説明することで理解が早まる。入院中も、子どもが病気を受容するために遊びを取り入れるなどの関わりを継続し、検査や治療の際にはプリパレーション(心理的準備)を行う。具体的には、子どもが検査を理解しやすいように検査室の写真や器具を見せ、人形を使って検査の手順を説明する。例えば採血の際には、針を刺す瞬間が最も嫌なことになるので、それをどう乗り越えるかを子どもと一緒に考える。ゲーム好きの子どもは、採血中にタブレットでゲームができることを伝えたり、母親に抱きしめてもらって気持ちを落ち着ける方法を提案したりする。
「このゲームは単に気を紛らわしているだけではなく、心理学的にも意味があります。痛みのゲートというものがあって、何かに集中するとそちらの認知の方の意識に向かって痛みが緩和されるのです」(大橋氏)。
遊びの中で子どもが自分の気持ちを表現できるようにサポートし、その情報を医療者や親と共有する。きょうだい支援や親の支援も行い、時にはお子さんが亡くなる際のグリーフケア(悲嘆ケア)も担当する。
親の反応はそのニーズによって異なる。初めてのことが多く拒否感が強い子どもの場合、親もどうしたらよいかわからず困っていることが多い。医師からCLSの支援を勧められることがあり、親からも「ぜひお願いしたい」と要請されることもある。逆に手術を控えている場合、手術の事実を隠したい親もいる。子どもにとって恐怖体験となりかねない状況を防ぐため、親と相談しながら子どもに合った準備を進めていく。
協会を設立しCLSの活動を支援
現在、日本で活動しているCLSは50名ほどであり、徐々に広がっているがまだ一般的ではない。CLSになるためにはさまざまなバックグラウンドがあり、看護師や心理学部出身者、保育士など多岐にわたる。CLSを学ぶには修士課程が主流ではあるが、4年生大学でも資格を取れるところがあり、日本の大学から編入して取得する方法もある。
一般社団法人チャイルドライフスペシャリスト協会は、CLSの職能団体であり、勉強会や相談会を開催している。また、研究や活動の発表の場を設け、CLSが多くの病院で受け入れられるよう働きかけている。
「コロナで一時中断していますが、私たちの研究や活動を発表したりする場も設けています」と、大橋氏は説明する。CLSは日本では国家資格ではないから、医療報酬の加算には組み込まれていない。なかなかこの職種を雇用するのが難しい病院もある。CLSの職業を日本に根付かせるためにさまざまな活動を行っている。一般社団チャイルドライフスペシャリスト協会では留学してチャイルドライフスペシャリストになりたいという方のための相談会も年に数回開いている。
エピソード:脱走を繰り返す少女の心
大橋氏はCLSとして勤務する中で、脱走を繰り返す少女と出会い、彼女との関わりを通して、子どもたちの心の深淵に触れた経験がある。
小学校低学年だった少女は、入院生活に耐えられず、何度も病院から逃げ出していた。その度に親御さんが捕まえ連れ戻し、部屋に閉じ込めてしまうという悪循環が続いていた。少女の病状を治療するためには、検査や処置が不可欠であるが、少女は突然の入院や検査に恐怖を感じていた。
大橋氏はまず、少女と遊びを通して信頼関係を築くことから始めた。遊びの中で、少女が脱走を繰り返す理由を探っていくと、彼女は突然の入院や検査、そして大人たちへの不信感から、自分を守るために逃げ出していたことがわかった。
大橋氏は少女の気持ちを理解し、共感しながら、今後の治療の流れや検査の内容を丁寧に説明した。手術前に麻酔や手術のことについて不安を感じている少女は、医師や看護師も一緒に話を聞いて、不安を解消できるようサポートした。
こうして、徐々に大人たちを信頼し始め、少女は手術を受けることを決意した。手術は無事に成功し、少女は退院することができた。
退院後も、少女は同じ病気で手術を受ける子どもたちを優しく励まし、手を差し伸べるようにさえなった。この経験を通して、親も子どもとのコミュニケーションの大切さを改めて認識した。
このエピソードは、子どもたちの心の深淵を理解し、信頼関係を築くことの重要性を教えてくれる。CLSは、子どもたちの声に耳を傾け、医療者や家族との橋渡し役を務めることで、子どもたちの笑顔と希望を守っていく存在なのである。
子どもたちの笑顔と希望のために
子どもに関わる際は、その子がどうしたいのかを聞き取り、大切に受け取るよう心がけている。子どもとの距離も大切にし、安心できる距離を保つことも重要である。
CLS資格取得を目指す方々もいるが、現在のところ、日本でこの資格を取ることはできない。「子どもたちを支援したいという強い思いがあるのなら、躊躇せず渡米して資格取得に挑戦してほしい。渡米先の大学では、支援する人々や環境が整っています」と大橋氏は呼びかける。
子どもの声を医療者や親に伝える役割は極めて重要である。多くの医療者が子どもの声を聞こうとしているが、その声を拾うことができず、どう対応すればよいかわからないでいることが多い。その溝を埋めるのがCLSである。「CLSは医療者や親とチームになって子どもたちの声を拾い、支援する役割を果たしています。しかし、日本の病院には、圧倒的にCLSが足りていません。私たちはCLSの認知を進め、重要性を訴え、仲間を増やしていきたいと考えています」と大橋氏は強調した。